枯橙画の話
枯橙画という物をご存知だろうか。
大抵は掛け軸の形で描かれる絵である。
そのほとんどが、大国である曹の一部の時代のものしか残っておらず、 それ以前も以後もほとんど描かれていない。
近代では、おおかた、物好きの美大生が興味をもって真似て見る程度である。
枯橙画は、油絵のようなザラザラした顔料で、その名の通り橙色を基調とした絵画である。
ザラザラとしている表面は、恐らく顔料に枯葉が混ぜられて使用されているとされ、 絵によっては羽毛のようなものが混ぜられている。
もっとも特色的な部分は、必ず左下から真ん中の辺りにかけて筆を寝かせたような線が描かれ、 その回りにまるで炎がもゆるように赤みがかった色が重なる。
絵によっては、所々に緑の点描や、上部に紺色の下地が塗られている場合もあるが、 概ね同じ構図である点が共通している。
印象派を描いていた19世紀の画家からすれば、さすが四千年の歴史を持つ国であると言えよう。
しかし、なぜごく短い時期に、それも広い国土そこかしこで (現在見つかっているもので256点ある。これは、一人の画家が書いた絵ではないことの証明になろう) 描かれているのかは未だわかっていない。
ただ、なぜこのような構図で上記のような統一された描かれ方をされたのかは、以下のような逸話がある。
******************************** 曹より200年以上前の恵の時代、李殖という青年が生きていた。
李殖は、家庭のため官願を目指してはいたのだが、ある時、ぱったりと目指すことをやめ、家出同然で旅に出てしまった。
数年たち、家に帰ってきた李殖は小さな雀を連れていた。
李殖は雀に桔梗と名付け、非常に可愛がっていた。
可愛がるだけならよいが、四六時中桔梗に話しかけていた。
家族や友人が、心配になり、李殖に話しかけても、億劫そうに答えるばかりで、ずっと話しかけ続けている。
不思議なのは、まるで李殖が話しかけているとき、キヨウキヨウと、まるで頷くように鳴くことだった。
家族がオロオロとしている内に、やはりというか、所詮雀。
数日たつとポックリと死んでしまった。
李殖は大層落ち込んでいたが、その晩の内に寝ずに絵を書き上げた。
顔料は全て桔梗の体を使い、木の枝を書いたと言う。
驚いた家族がなぜと問うと、桔梗がそうしてくれと言ったと答えそうだ。
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以上が、枯橙画にまつわる逸話である。 当然この男は、心の拠り所をか弱い雀に求め、依存していただけなのである。
現代22世紀に生きる我々は、こういった偽善心が雀たちを絶滅させてしまったということを学んでいる。
今や雀の剥製を見れるのは博物館くらいだが、21世紀初頭は普通に町中で見れた動物だ。
人間はこうやって学習していく生き物だ。
動物を人間の尺度で捉えることは偽善でしかないのだ。
しかし、時折こういった現実に虚しさを覚えるのは何故だろうか。