天に手を、古に舞う

何度目かの清兵衛ブログ

隙間の童子

以下、奥羽風土の民俗学(著 廣高 兒升)から引用

ひとえに座敷わらしと言っても、各地の伝承の内容は異なる。 近年では、比較的友好的な妖怪、家屋内に存在するだけで、富を得られるような共通の認識であるが、その原点は、江戸後期に出版された「妖怪見聞録」著 前崎佐衛門 による影響が大きい。 例えば、奥羽の一部では以下のような伝わりかたをしている。 ここでは、「隙間の童子」として分けて語ろう。

隙間の童子は、赤子を神隠しに会わせる妖怪とされる。 家屋の障子や襖を閉め忘れた隙間にしか存在できない。 隙間の近くに赤子がいると、連れ去ってしまう。 しかし、隙間にしか存在出来ぬゆえに、童子が隙間から出るとたちまち存在が消えて死んでしまう。

このような存在を模してこんなわらべうたが残されている。

てんてんてんとて 歌う童は 障子の影しか 生きられぬ りゃんりゃんりゃんとて 笑う童は 隙間の世界に いざのうて 儚き命を 悟りして どちらを摘むも お前次第

赤子が興味を持って手を出せば、隙間の世界に連れていかれることがあり、 赤子が手を出さなければ、連れていこうと隙間から出てきた隙間の童子は死んでしまう。 そんな皮肉を込めた歌なのだろうか。

さて、ここまで話を進めればわかることだが、奥羽のような北国ならではの妖怪伝聞と呼べるのではないか。 例えば暖など火を起こすしかなかった時代、真冬に赤子を隙間の空いた場所に放置してしまえば、流れ込む冷気でたちまち赤子は凍え死んでしまう。 自分の過失で子を亡くした親には、神隠しにあったと嘘で、遺体を隠して逃げる例もあったかもしれない。 何にせよ、戸締まりはしっかりとせねばならぬという教訓が含まれた話ではなかろうか。

。。。ところで。 もし、このような座敷童子が本当に存在していたとして、なぜ死んでしまうのに、わざわざ隙間から出てくるのだろうか。

人の理を超えた存在に、理屈を説くのは粋ではないため、これ以上は語らない。