天に手を、古に舞う

何度目かの清兵衛ブログ

達磨の面には顔が二つ

自己奔放に生きてきた。
自分には非凡な才能はあるが、今はやらないだけだと。
皆は何をそんなに既に引かれた道を辿ることに懸命になっているのか。
凡人とは違い、オレには夢がある。
昭和の名文豪となって名を馳せることだ。
そのために書生として、この家に邪魔している。
ただ親戚という理由でこのなんの変徹もない家を選んでいるが、一つだけ気に入っている場所がある。
旧家の名残を残す土間だ。
少し前までは、炊事場としての機能も持ち合わせていたのだろうが、今ではたまの作業や、専ら物置としてしか使われていない。
主人はオレの才能を認めてはくれるが、この土間の風景を大事にはしてくれぬようだ。
三和木で作られた、居住空間と一段下に儲けられた空間は、内と外とを繋ぐ唯一の空間なのだと感じさせる。
大きく開く引き戸の戸板も時代を感じさせる色合いがなかなかだ。
土間に置かれる藁敷や、鋤きも、九十九神ではないのかと思えてくる。
この空間内において、光を提供してくれる窓は小さな横窓だけだ。
そのため、特にこの逢魔が時などは、人工的に作られた空間とは思えないほど荒廃した幻想風景を感じさせてくれる。
オレはこの空間でどうしようもない世情や、つまらない流行が如何につまらないかなどの考えを巡らせたり、同世代の流行に走ってしまう愚の小説家の作品を読みながら、古典に比べてここがだめだとか、古典からなにも学んでないと憤ることが、とても心地よい。
無音の静寂と、幻想風景が、全てを受け入れているような、自分と対話しているような気さえする。
コトリ、と渇いた音が響いた。
おや、女中が夕食に呼びに来たかな、と気配を探るが、そのあとの気配がしない。
不思議に思い、さっと目を走らせると、いつもの風景に違和感を覚える。
人の顔ほどの大きさだろうか、赤々とした達磨が暗闇から顔を覗かせている。
はて、あのような達磨がこの家にあっただろうか。
主人は大変理解がよい反面、伝統や歴史、信仰を軽んじる傾向がある。
おたきあげなどせずに、この物置と化した土間においたということだろうか。
よくよく達磨の顔をみると、片目の達磨だ。
いくら信仰心の低い主人でも、願いのかなっていない達磨を放置するとも思えないが。
まぁ、大方、そそっかしい女中が避けたまま忘れてしまったというあたりだろう。
夕食の時間に聞いてみようではないか、 家出した息子にオレを重ねる主人なら聞いてもくれるだろう、と思い、開いた文庫と原稿用紙に目を落とした。
今読んでいるものは、たまたま町の飲み屋で知り合った同世代の奥谷という物書きの作品だ。
物書きということで語り合ったところ、馬があってしまい、昨今の小説文学の行く末をぶつけ合った。
大変気分を良くしたため、よし、じゃあお互いの作品と比べ合おうということで、交換した次第である。
しかし、読んではいるが、なにも頭に入ってこない。
奥谷の文体は太宰を真似たようで全く真似にもなっていない自己満足的なもので、自身の考えを文字にぶつけるだけの物であった。
本来ならとてもじゃあないが、オレが感想を書くにも値しないものなのだが、あれだけ語り合えたなかだ、と筆を取って評論を書いているところだ。
(君主は観衆の喝采をよしとせず、何を守るのか。)
という短い文に対して、200文字を超える評論を書き終える頃、
コトリ、と音がなり響いた。
うん、と目をやると、やはり達磨がいる以外に変わりはない。
。。。いや、少し違う。
なんだか達磨がほんの少しだけ近づいて来ている気がする。
そんな馬鹿な。
妄想が過ぎる。
無理にオレに似合わぬ書き物をしたからつかれているのだ。
目頭を強く押さえつける。
コトリ。
慌てて目を開ける。
。。違う。達磨は近づいているのではない。
回転している。
そう思った瞬間、ソレはこの世のものではないと瞬時に理解した。
足元から頭上まで、一気に感じたことのない悪寒が走る。
目を反らしたいのに反らせない。
コトリ。
もはや瞬きをしただけで回転する。
もうだめだ、逃げなければと思うが、どうにも体が動かない。
所詮は達磨大使の伝説を模した置物に過ぎない、と思ってもどうにもならない。
コトリ。
正面を向いていた達磨が、今や左目が隠れてきている。
コトリ。
おや、と違和感を思う。
コトリ。
達磨の後ろにも、
コトリ。
顔があるのか。
突如、赤子の声が鳴り響く。
オギヤア、オギア、 オギヤア、オギア、 オギヤア、オギア、 オギヤア、オギア、
どうやら、後ろの顔から聞こえてくるだが、オレにはもうどうすることもできない。
オギヤア、オギア、 オギヤア、オギア、 オギヤア、オギア、 オギヤア、オギア、
シヤリン、と何処からか鈴の音がして視界が回転した。
倒れたのか、と思い目を開くが、片目しか開かない。
叩きつけられたためだろうか。目の前には三和木が広がる。
相変わらず赤子の声は五月蝿い。
(そうだ、達磨はどこだ)
もう一度目にする恐怖はあったが、それよりも見失う恐怖の方が圧倒的に強かった。
首を軽く捻ったつもりだったが、視界が90度回転した。
オギヤア、オギア、 オギヤア、オギア、 オギヤア、オギア、 オギヤア、オギア、
頭のなかで赤子の声が鳴り響く。
。。。ああ、そうか、オレは達磨になったのか。
片目だけで、土間に転がる赤い達磨を想像して、感傷的な気分になる。
まるで、それが昔からあるべき姿だったようにさえ思う。
片目の願いは、人間に戻るようにだろうか。
今のオレにはどうだっていいことだ。
気付くと、見知らぬ青年がオレの頭を抱えた。
いつの間にか来ていた主人に青年から手渡される。
神棚などと贅沢は言わない、せめて土間より高い場所がいいなと思う